さすらい先生のHappy Life

先生であり、パパであり、男であり、ヒトである。みんながHappy Lifeを送れるように発信してみます。

「楽しい授業」か「分かる授業」か

「楽しい授業」と「分かる授業」

 

あなたは、どちらの授業を目指していますか?

 

どちらの授業を目指していますか?

 

私は「楽しい授業」を目指しています。

 

そう答えると、「授業は楽しいだけでいいのか?」ということを言われる方が出てきます。

 

今日は、「楽しい授業」について板倉聖宣氏(元国立教育政策研究所)の論文(『仮説実験授業の考え方』仮説社)をもとに考えてみたいと思います。

 

 

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【授業は楽しいだけでいいのか?】

「楽しい授業が大切だ」と言うと、「授業は楽しいだけでいいのか?」という疑問を投げかけられることがあります。

 

そういう疑問に対して板倉氏はこのように述べています。

 

ごく一部でも楽しい授業を実現しえている人々は、そのような疑問を心に抱くことはほとんどないようです。(中略)それなら、そういう疑問を投げかけてくる人々は、〈ふだん楽しい授業をやっていて、いまそれ以上のものを目指している〉というので、そんなことを言うのでしょうか。(中略)しかし、どうもそういうことではないようです。そういう人々は、「〈楽しだけ〉の授業ならいくらでもできる」かのように言います。しかし、じつはそういう人々だって、〈楽しいだけ〉の授業でさえできないでいるといっていいでしょう。実際に楽しい授業をやったことのある人なら、それがどれほど画期的なことであるかに気づいてしまい、〈楽しいだけでいいのか〉などと馬鹿にしたようなことは言えなくなるからです。

 

・「授業は楽しいだけでいいのか?」などと馬鹿にしている人は「楽しいだけの授業」でさえできていない

・〈楽しい授業〉を少しでも実践した人は、そのようなことは言わない

 

という板倉氏の意見から、まず「授業は楽しいだけでいいのか?」という人は相手にならないということがわかります。

 

では、そもそも「楽しいだけの授業」とはどのような授業なのでしょうか。

 

【「楽しいだけの授業」ってどんな授業?】

授業をやめて、1時間、子どもを遊ばせてやれば、〈楽しい授業〉と言ってくれることもあるかもしれません。しかし、それでは〈楽しい授業〉とは言えません。

 

それなら、〈楽しいだけの授業〉というのは、どういう授業でしょうか。〈楽しいだけ〉というのは、〈それだけで、他に何も頭に残らない、理解・学力につながらない〉という非難をこめた言葉なのでしょうが、何ものも理解せず、いかなる学力も身につかないで授業が楽しくなるなんていうことは、まず有り得ません。

 

以上のように、板倉氏は「楽しいだけの授業など無い」と言い切っています。

 

そういった「楽しいだけの授業」ということを言う人は、それよりも「分かる授業」の方が大切だ、と考えている人が多いようです。

 

それに対しても板倉氏はきっぱりと「〈分かる授業〉よりも〈楽しい授業〉のほうが重要だ」と述べています。

 

【楽しい授業と分かる授業】

いつの時代でも、社会の指導者たちは、「自分たちの教育目標が〈分かる授業〉」を目指しています。しかし、「それらの教育目標が分かるに値しない」と感ずる子どもたちは、そういう授業を〈苦痛な授業〉と受け止めます。自分たちが学ぶに値すると思えるような授業だけが〈楽しい授業〉になり得るのです。そういう意味で〈楽しくなくても分かる授業〉というのは、子ども・学習者の人権を無視した授業です。分からせようと思うなら、それが分かるに値するということが十分に子どもたちに伝わるように教えなければなりません。そういう配慮なしに〈楽しくなくて分からせられる授業〉は恐ろしい授業です。 

 

板倉氏は「〈分かる授業〉よりも〈楽しい授業〉のほうが重要だ」と述べる理由に加え、「楽しくなくて分かる授業」は「子どもの人権を無視している」とまで言い切ります。

 

確かに私が子どもなら「よく分かる」というより「楽しい!」と思える授業の方を受けてみたいと思います。

 

板倉氏の子どもを一番に考えた視点、姿勢を見習いたいものです。

 

ここまで議論してきた授業を「楽しいか」「分かるか」という面から分類すると4つの組み合わせができます。

 

A 楽しくて、分かる授業

B 楽しくなくて、分かる授業

C 楽しくなくて、分からない授業

D 楽しくて、分からない授業

 

あなたらなら、この4つの授業をどのような順序にしますか?

 

私ははじめて、この4つを順序づけした際、

 

1:A 楽しくて、分かる授業

2:B 楽しくなくて、分かる授業

3:D 楽しくて、分からない授業

4:C 楽しくなくて、分からない授業

 

としました。

 

なぜなら、学校現場では「分かる」ことを求められ、私自身もそのように傾倒して授業づくり、指導をしていたからです。

 

ですが、板倉氏はこう述べます。

 

そのうち〈もっとも理想的な授業〉は、 Aの「楽しくて、分かる授業」で、〈もっと非人間的な授業〉は、Bの「楽しくなくて、分かる授業」だというのです。そこで私は、授業のよしあしは、

 

①わかって楽しい授業

②分からなくて楽しい授業

③分からなくて楽しくない授業

④わかって楽しくない授業

 

の順序で決まると考えています。

 

この考え方を知った時は衝撃でした。

 

ここまで、学習者の気持ちに寄り添った考え方をする教育学者がいるのかと驚いたものです。

 

板倉氏は「楽しい授業」については、

 

断片的な知識にせよ、感動的に身につけさせることができてはじめて、楽しい授業になりうるのです。

 

と、述べています。

 

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この考えを知ってからというもの、子どもにとっての「楽しい授業」、学習者の学びの驚きや感動を大事にしようと思い、授業をするようになりました。

 

あなたも、「楽しい授業」を共に目指しませんか?

 

たくさんの人の「楽しい授業」に対する知恵を出し合えば、教育の質はぐっと上がると思っています。

 

これからも「楽しい授業」を目指してがんばりましょう!