さすらい先生のHappy Life

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【変革】評価に対する考え方と通知簿を変えるための具体的提案 その2

前回のブログでは、「大事なことは評価してはいけない」という板倉氏の考えを紹介しました。

 

まだ、読んでおられない方は是非、そちらからご覧ください。

 

wandering-teacher.hatenablog.com

 

私はこの板倉氏の考えに大いに賛成です。

 

そのような「子どもの生き方、考え方」に対しての評価はせず、必要な部分の評価だけをするようにすれば、より本質的で実用的な通知簿になると思うのですが、どうでしょうか。

 

そんな風に考えていると、「通知簿」の意味や在り方、具体的な評価項目などについても考えを及ばせる必要が出てきます。

 

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【そもそも通知簿とは】

「通知簿」は誰が出すように決めているものなのでしょうか。

 

誰の力によって当たり前のように存在し、先生たちは作成しているのでしょうか。

 

今回のコロナウイルスで臨時休業になったことを受けて文科省が全国の学校に「参考情報」を周知した中に「通知簿」について記載されている部分がありました。

 

Q8 通知表については、渡すのが4月以降になってしまってもかまわないか。

 

これに対して文科省はこう答えています。

 

「そもそも通知表は法令上の作成義務はなく,実態として各学校で作成しているものです」

「通知表の作成・交付を今年度中に行う義務はなく,児童生徒や保護者に渡すのが4月以降になっても問題ありません」

 

つまり、

 

・通知簿は必ずしも作成しなければならないものではない
・勝手に自治体や学校単位で決めて出来上がったものである

 

というわけです。

 

【自分たちで自分たちの首を絞めている現状】

そういった通知簿に私たち先生はどれだけの時間をかけているでしょうか。

 

・所見作成

・一覧表作成

・相担任との調整

・管理職のチェック

・その手直し

・さらにチェック

・印刷

・印刷したものが作成したものと同じかどうかのチェック

・ハンコ押し

・校長のハンコ押し

 

書き出してみても本当にうんざりする量の仕事をしていることになります。

 

これに見合う子どもの成長はあるでしょうか。

 

これに見合う先生のやりがいはあるでしょうか。

 

これによって子どもや保護者との関係はよくなっているでしょうか。

 

私は、いい加減、自分たちの手で自分たちの首をしめるのはやめにしようということを提案したいわけです。

 

【本当に必要なことを精査する時期に来ている】 

それでは、まったく「通知簿はいらないか」「すべてやめてしまってもよいか」というとそうではありません。

 

指導することに対しては、必ず「評価」が必要だからです。

 

その「評価するもの」をこの際、見極め、精選しようということを言いたいわけです。

 

私は今回のこの騒動は「本当に大切なものを見極める」いい機会だと思うのです。

 

・「態度」や「意欲」「人間性」など,心根の部分の評価は「しない」
 ・指導した内容の正否や定着率だけを評価する

 

という案を提案します。

 

【通知簿に記載する内容】

・教科と指導内容・項目を明記する

(例)

国語 (1)ひらがな50音が読める。

   (2)ひらがな50音が書ける。

   (3)物語文がなめらかに音読できる。

   (4)説明文の型にそって自分で文章が書ける。

 

算数 (1)1けた+1けたのくり上がりの計算ができる。

   (2)10-〇の計算ができる。

 

体育 (1)50mが勢いに乗って走り切れる。

   (2)バタ足で10m泳げる。

 

・それに対しての達成状況を書く。(〇や△にするか%で表示するかは各校で検討)

国語 (1)ひらがな50音が読める。…◎

算数 (2)10-〇の計算ができる。…96%

 

全ての教科、この通知簿だけで完結できると思うのですが、いかがでしょうか。

 

【評価項目を明確にすることのメリット】

このように評価するということは、学期前や指導前にはあらかじめ指導側が明確にしておく必要があります。

 

でも、それを明確にすることで指導する側への大きな意味づけができるはずです。

 

つまり、

 

・評価と指導を一体化させることが現実的に可能になる

 

というわけです。

 

今のように,

 

①どう評価してよいかわからないままに始める

②指導内容があいまいになる

③結局評価もあいまいにしかならない

 

という悪循環は防げるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 

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先日、とあるtwitterを見てウンウンととても納得したものがあります。

 

コロナの影響で無くなったもの(勤務校or勤務自治体)

・3月の部活の公式大会

・卒業式の在校生参加

・3年生のお別れ遠足

・学校評議員との夜の会

教頭がポツリと一言

「コロナで無くなるものの多くは元々無くてもいいものなんだよ…」

職員室一同頷く

 

 

今回の「通知簿」についてもそうですが,コロナウイルスの影響で無くなったものや変化したものについて、改めて是非を問いただす良い機会としていきましょう。

 

コロナウイルス自体は「悪」ですが、それをチャンスにビジネスモデルの変化や業務内容の精選をすることができれば,いいですよね。

 

ピンチをチャンスに変えられるのは人間だからこそ!

 

暗いニュースが多い中ですが、明るい方向を目指して自ら一歩を踏み出しましょう!

 

それではまた!