【超重要】完全に間違っている学校現場の「研究」
学校で仕事をしていると「研究」という言葉を頻繁に聞きます。
「授業研究」や「研究授業」「教材研究」「研究発表」など。
でも、その「研究」って一体何なのでしょうか。
学校でしている仕事なら、なんでも「研究」になるのでしょうか。
先生が少し時間をかけてやった仕事なら「研究」と呼んでいいのでしょうか。
私は全くそうは思ってません。
「研究」という言葉をインターネットで調べてみるとこんな風に書いてあります。
ある特定の物事について 、人間の知識を集めて考察し、実験・観察・調査などを通して調べ、その物事について深く追求する一連の過程のことである。
現在、学校で「研究」と呼ばれているものの多くは、ただの「一つのお仕事」に過ぎないと思うのですが、いかがでしょうか。
私は「研究」を定義するのに「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)」にはなかった事柄をこの度、1つ提案したいと思っています。
そして、それこそが「学校現場であるべき研究の姿」だと強く確信しています。
【学校現場における「研究」のあるべき姿とは】
強制されなくとも、自ら進んでやりたくなるもの
これを「研究」の定義の一つにしてはどうかと思っています。
そして、これこそが学校現場にはない「研究」だと思っています。
でも実際に、そんな「研究」を今の学校現場でどうすれば実現できるのか、という風に疑問に思われる方もいるでしょう。
なので今回は、学校現場における「研究」に対する具体的提案をしてみます。
【学校現場における「研究」の具体案】
①それぞれの先生が「やりたいこと」をやる
私はこれを「研究」の定義の1つだと捉えているので、とても重要視しています。
つまり、それぞれの先生が「やりたいこと」「やってみたいこと」「深めたいこと」「興味があること」「楽しそうだと思うこと」をやるのです。
「研究主任が言っているからやる」
「例年やることに決まっているからやっている」
「やりたくもないのにやらされている」
これは絶対にダメです。無意味です。時間のムダです。
1人1人の先生が「やりたいこと」をやりましょう。
②他の先生がそっくりそのまま「マネ」できる財産を作ることを目指す
「やりたいこと」をやっているからと言って全てがOKだとは思いません。
やはり「研究」するからには、子どもや他の先生にとって有益であるものを目指すべきです。
必ずしも有益かどうかとなると、各々の判断に任すことになるので難しいですね。
ですが、誰もが目指せる「目標」というのも実際にあると思っています。
それは、「他の先生がマネできる財産を生み出す」というものです。
よくある「研究発表校」の発表は多大な努力とオリジナリティを披露するものになっていますが、それは本当の「研究」ではありません。
研究したものを「財産」として形あるものを生み出し、他の先生がマネできるものになって初めて「研究の成果」となるでしょう。
例えば、ある教科の1単元のワークシート集を作るのも良いかもしれません。
1単元の1時から最後までの授業の進め方をまとめた指導計画を作成するのも良いかもしれません。
大事なのは、それを見たり、それを使ったりした先生がその「研究の成果」を自分のものにできるということが大事であるわけです。
③「研究仲間」を校内だけに留めない
学校にはたまたま異動してきて出会った先生がいるだけです。
自分が研究したいことを同様に興味を持っている先生がいるとは限りません。
いや、そんなことはほとんどないでしょう。
だから、研究仲間をあらかじめ決めることはせず、他校の先生や他校種の先生と共に研究することも大いに認めるべきです。
もしくは、「1人でやる」ということも大いに認めるべきです。
大事なことは「自分がやりたいことをやる」ということです。
そのために必要があればチームを組み、必要があれば1人になればいいのです。
④「研究しない自由」を認める
と言っても、「何をやればいいかわからない」という先生もいるでしょう。
「これと言っては何もないなあ」という先生もいるでしょう。
それも当然です。
ですので、そういう先生には「研究しない自由」を認める必要があります。
「研究しない自由」を認めるからこそ「研究する自由」が生まれるわけです。
「何もしないなんてダメだ!何かをやらせなければダメだ!!」
そうやって強制的に何かをさせられることで、どれだけたくさんの先生のやる気を削いできたことでしょう。
強制などしなくても、人は興味を持ったことに突き進んでいけるはずです。
そうやって全ての先生を信じることで、本当に良い「研究成果」が生まれてくることでしょう。
⑤人がやっていることに「ケチ」をつけない
これも④と同様に、研究への「意欲」「モチベーション」を無くさないために必要なことです。
今の学校現場では、「自分のやりたいこと」を他人の評価を気にするばかりにできていない、という実態があまりにも多いように思います。
もっとみんながやりたいことをやって、そのそれぞれの興味をそれぞれが寛容に見る。
そんな関係性ができれば、教育界はもっと発展し、先生たち1人1人がもっと輝くことができるはずです。
そして、さらに教育の成果を上げられるはずです。
いかがだったでしょうか。
今回まとめたものは、私が日々、学校現場で感じている違和感を改善策として具体化したものです。
実際に実現できるかどうか、ということはまだまだ難しいものもあったかと思います。
しかし、それぞれが感じている意見をこうして出し合い、それぞれが職場でほんの少しのエッセンスだけでも吸収して実践していくことは十分に可能だと思います。
そして、そういう小さな動きこそが本当の研究につながると思います。
今回、最後まで読んでいただいた感想、さらなる具体案などありましたら、どんどんコメントください。
私も勉強させていただきたいと思っています。
それではまた!